2000年に生まれてから大学生になるまで、自身の症状に名前がついていることすら、知らない。これが僕でした。
大学生の頃、友人に「お前って吃音症だよな」と指摘され、体に電撃が走ったことをはっきり覚えています。当然自覚はあった。でもまさか、れっきとした障害とは思いませんでしたし、認めたくなかったのです。今回はそんな僕の、幼少期時代をお話ししましょう。結構ネガティブな内容になりますので閲覧注意です。
さて、僕がこの症状について最初に違和感を覚えたのは小学生の時です。みんなと話している時、全く発したい言葉が出てこないのです。説明しますと、吃音には大きく分けて以下の3つの種類があります。
①難発:最初の言葉が出てこない。 「・・・・(何秒か経ってから)私は日本人です。」
②連発:一つの語を繰り返して発する。 「わ、わ、私はに、日本人です。」
③伸発:一つの語を伸ばして言う 「わーーたしは日本人です。」
僕の場合は①難発、②連発が対象の症状でした。
難発の場合、発したい言葉を力づくで出そうとするので、体がプルプル小刻みに震えてしまいます。すると、周囲からは気味が悪いと思われるのです。
そして連発の場合は、なぜこいつは同じ語を何度も繰り返すのか、と周囲からは不思議な目で見られます。
幼少期の頃は自分も、周りも言葉を使いこなさないのでそこまで気になりませんが、小学生になり言葉を習得し、且つ好奇心旺盛になってくるとどうしても周囲から浮いた存在として認知されてしまうのです。何度母親に相談し、自分の部屋で悩み泣いたことか。自身の症状について本当に意味がわかりませんでした。
小学校・中学校には特別学級と呼ばれる、特殊な事情を持つ子のクラスがありますよね。僕は自分のクラスがなぜそこではないのか、ずっと疑問でした。あとでわかったことですが、それは母親が担任の教師と話し合い、一般クラスで問題ないことを決めていたそうです。(これは決して、母親の「うちの子は普通の子よ!」というエゴではありません。笑 吃音以外は普通の子だったためだと聞いています。)
母親が吃音のことを教えてくれてもよかったのではないか?と思う時もありますが、僕が「自分が障害を持っている」事実を受け入れられるほど強い人間ではないと判断したと思うと、非難はできません。実際、知らなくて良かったと思います。お子さんが吃音症の方はぜひ、事実を伝えるか否かをお子さんの性格を鑑みて判断していただきたい。心からそう思います。
さて、日々泣くほど悩んでいた僕を見て、母親は僕に、吃音症対策をする講師をつけてくれました(母は今日まで僕の症状が吃音症であることを絶対に認めませんが)。レッスンは週一回・45〜60分で、与えられたテキストを音読しながら、講師の指導が入ります。テキストは「隣の客は牡蠣くう客」のような早口言葉や、僕が発しづらい言葉にフォーカスして作成した文章で構成されていて、講師とともにそれを読み上げる授業形態でした。当時僕が苦手なのは、「あ」と「う」が母音の言葉でしたね。いくら振り返っても、この授業が吃音症改善の役に立ったのかは不明です。むしろ、当時は言葉が出てこない自分に怒り狂っていました。何せ、テキストが僕の苦手な言葉ばかりで構成されていますからね。笑
そんな僕ですが、結構明るくよく笑う性格だったので、友達は結構できました。ただ、周りを引っ張るタイプではなく、周囲からマスコットキャラクターとして可愛がられるタイプでした。
正直、周囲を引っ張る所謂「リーダー」にはなりたくありませんでした。吃音が気になる僕からすれば、周囲から必然的に注目されるリーダーなんて死んでもやりたくありませんでしたし。注目されている中で吃音が出てガッカリされる。そんな妄想をするだけで寒気がしたものです。結果、ずっと周囲に合わせて笑っている方が楽に生きられたし、それが自分なりの処世術であると考えていました。
自分の処世術によって小学校は結構楽しく過ごせましたので、総じてあまり悲しい経験はありません。それでも、吃音症によって自分のキャラクターを半強制的に決められてしまうのか、と当時は小さいながらにもやもやを感じていましたこともまた事実です。仮に僕が強いメンタルの持ち主であれば、吃音が出てもいいからリーダーをするんだ!となっていたのかもしれませんが、経験上、この症状に悩む人は陰に隠れる人の方が多いと思うのです。
でもこう考えたらどうでしょうか。我々吃音症の人は小さい頃から人一倍、自分の生き方を熟考していると。僕自身、「明るくよく笑う」ことを社会人になった今でも続けています。明るく笑顔でいることで周囲から可愛がられることを小学校の頃に気づくことができた。それは吃音があったからこそだと本気で思っているのです。
さらにいい点もあります。僕には何人か吃音の症状がある友達を知っています(自分が吃音症だと、すぐ分かるのです。仲間意識のようなものでしょうか笑)。僕や彼ら含め吃音症の人は、自分が「周囲からどう見られるか」をすごく気にするのです。小さい頃から、不思議な存在として見られた苦しい経験がありますからね。そこで、どうすれば自分が普通の人だと思ってもらえるのか。そんな風に考えるのでしょう。そしてそれはやがて、自分の身なりや周囲との接し方にも派生していきます。つまり、自己研鑽を怠らない人が多いのです。現に、僕の友達も公認会計士や大手メーカーの社員として活躍しています。
あと補足ですが、僕は小学校で親友ができました。彼は僕がいくら吃っても、決してそれを指摘しない子でした。最近彼から聞いたのですが、彼自身も滑舌が悪いという悩みがあったので僕の吃りなど全く気にならなかったそうです。彼のおかげで僕のメンタルはだいぶ安定しましたね。今でも良き友人です。
どんな人でもいいので、自分の症状を受け入れてくれる親友を作る。これは吃音症を持つ人にとって、一つの大きな薬になると思うのです。
次回はちょっと苦しい中学校時代を語ろうと思います。それではまた!
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